「どうも、私は私自身の好き嫌いがよくわからないらしい」
いつのことだったかはっきりとは思い出せないけれど、ふと、あるときそう思った。
もちろん、はっきり好きと言えるものも多少はある(嫌いなものも)
たとえば、猫
たとえば、フライドポテト
たとえば、休みの日
だけど、それよりも、好きなのかな?、嫌いなのかな?と、悩むようなものや、事が、非常に多いのです。
これ、好き?とか聞かれた時に、別に嫌いでもない気がするし、でも、好き?でもない?気がするし、うーん。
そんな感じで、悩むものがとても多いのです。
つまり、普通、が多い、いや、多すぎるのかもしれません。
感情がしんでいるのか…?(^-^)
元々優柔不断で、決めるのが苦手なのですがそこは今も変わらず。
よほどのことが無いと、即決は出来ないのですよ(p_-)
だから、ササッと次々決められる人は凄いなぁ〜といつも感心しています。
自分自身の、好き嫌いがよく分からないという人は結構いるようで(多分)、ネットで検索すると、同じような悩みを持つ人の質問や、ブログが出て来ます。
(ちなみに私は、この症状を悩みと捉えています)
そのへんで見たのか、はっきり覚えてないんですが、
そのような症状は、他人の顔色や言動を伺ってきた人に多い
と、あったんです!
それを読んだ時、最初に、あ〜、なるほどねと思いました。
私は、人の顔色が気になります。自分に自信が無いんです。昔悪口を言われたりしたことから始まった気がします。
人間って、裏で何言ってるか、何思ってるかわからなくて怖いから、気になってしょうがない
そう思うようになりました。
つまり、人を信用できないのと、自分自身に自信がなくて、マイナスマイナスの方へ行ってしまいがちなんです。
あと、改めて考えると、好き嫌いを主張することって、日本だと下手すると村八分になる可能性があるように感じてて、それもあると思います。
こう、同調や協調を求める国じゃないですか、日本って。
地震とか、災害の際にはそれで良いと思うんですよね、けど、日常もそういう風潮があって、外国に比べて自分の主張がしにくい国に見えます。
外国人を見ると、自分の気持ちを素直に吐き出しているように思います。
小さな事がが散り積もった結果、今の私の、自分自身がわからないことに繋がっている、そう思います。もはや、確信している感じです。
もちろん、優柔不断なのでそれも大いに影響しているだろうけれど、こんな自分が大嫌いで、信用なんて出来なくて、でも、改善したり、ダメなところは認めたい、そんな気持ちがあるのです。
疲れるなー!
まずは、その物や事にどう思うかを考えるとき、「好き」「嫌い」「普通」というカテゴリがあると、普通を選びがちなので、
本当に「普通」か?という問いを自分自身に投げかけて、咀嚼していく必要がありそうです。
日本のアンケートよくない。
好き嫌い以外に普通がある。なんなら、少しそう思うとか、微妙な選択肢もある。それ、選びがち。(私だけじゃないはず)
アンケートひとつにしても、もう少し吟味しながら答えていく練習するのもいいかもしれないな\(^o^)/
ちなみに、好き嫌いだけでなくて、自分の気持ちもよくわからないという重症っぷり。
好き嫌いと同じで、即答できることもあるけれど、なんだか、ふわふわしているんです。
そして、頭によぎるのは、、
『一般的には〜』
『普通だと〜』
とか、平均的な答え。
まず最初に、そういう、世間で求められていたり、世間一般で普通というカテゴリに入れられそうな、当たり障りのない答えを意識して考えてしまうんです。
これは、なかなか困ったもんです。
だって、自分がどう思ったかは置いておいて、その、普通と呼ばれる答えにひっぱられてしまうから。
ついつい、一般的答えに寄り添うような回答にしようとしている自分がいる…。
コイツはやばい。
ということで、好き嫌いの話と共に、普通はどうかは置いといて、本当はどう考えているのか問いかけていかないといけないな、と思うアラサー。
という、地味な悩みの話でした。
わかってくれる人はいるだろうか…_(:3」z)_